2017年7月5日水曜日

句会報 第18回

連載 第3回 コロッケおいしい句の研究について


可愛い子には旅をさせよといいます。
また、ライオンの親はわざと我が子を崖に突き落とし、成長をさせるそうです。

コロッケおいしいについても、同じ事が言えます。
「コロッケおいしい」という一句を、句会に提出した人間と、縁あって、一生のお付き合いをするのだとすれば?
我が子と同じレベルでの愛情を注ぐのだとすれば、たしかに、甘やかしてばかりいる訳にはいけません。

今回は、コロッケおいしいを投句した人間と、どう向き合っていくのかを、生涯に渡る大きさで取り掛かってみようと思います。

句友の働猫さんの言葉をお借りし、「修羅」の心境で、この問題句とむきあってみましょう。

コロッケおいしいの欠点

この句のどこがいけないのか?と、なりますと、まず、中身がなさすぎる。あまりにも、中身が無い、という事が第一に問題になってきます。
コロッケがおいしいという喜びについて、報告しただけで完結しており、その先の事を何も考えていない。あまりにも、しっかりとしていない句です。
読み手が心配になってきて、やむやむフォローせざるを得ない、先の無さを秘めています。
かといって、弱々しかったり、病んだりしているわけではなく、無駄に元気で、無駄に明るい状態こそ、この、コロッケおいしいという一句の境地であるように思われます。

・可愛さ余って憎さ百倍、コロッケおいしい

なぜ、コロッケでなければいけないのか?

誰でもよかった、という感覚は、人生を損ねてしまうように思いますが、
また、コロッケでなく、何でもよかったという感覚もまた、人生を損ねてしまうように思います。
やはり、これは、コロッケでなけねば得られない何かがあるように思うのです。
試験的に、違うおいしさを並べてみます。

・味噌汁おいしい
・カツ丼おいしい
・刺身おいしい
・ステーキおいしい
・そばおいしい
・焼肉おいしい
・アイスおいしい
・コロッケおいしい


うーん・・・・!???
これは、どう読み取ればよいのでしょうか?
コロッケと、それ以外の食べ物との違いは、「コミカルさ」「軽快さ」であるようです。

「コロ」という発音がなんとなく、擬音として、丸くて愛嬌がある物を連想させます。
「ッケ」は、あだ名か、愛称としてつけられているのではないか。妙に親しみが湧く名前です。
そして、何も中身がなく、軽快で、無駄に明るい。先の事は全く何も考えていない、
能天気、安直、安易と、漫画のように、コミカルな世界観が無限に広がっていきます。
なんとなく、弁当に添えてみますと、コロッケが主役であるかのような、錯覚さえ生じましょう。
やはり、コロッケおいしいには、コロッケおいしいならではの魅力があることが分かります。

現在、巷では尾崎放哉賞なる立派な賞が開設され、選者のほうも、色々と気合が入っている様子です。
もしも、このような立派な賞の選者になり、「コロッケおいしい」という一句に出会ってしまったならば、どのような句評を述べるべきなのでしょうか?

選者「コロッケは、おいしい。うーん・・・、コロッケは・・・・、おいしい。おいしいよ・・・・・・、コロッケ。」

コロッケおいしいは、あまりにも中身が無い為、逆にこの地球、人間という生き物の世界そのものを
風刺しようとしているのではないでしょうか?
依然として、深刻な状態が存続されておりますが、今回は、ここらで一旦、終わりましょう。

コロッケおいしいに、何も将来のビジョンが無いのだとすると、
この連載の今後も、また、無限の問題を抱えていく使命を担ったと思われます。

連載第3回目、終わり。

(余談ですが、コロッケおいしいの軽快さに対抗できる唯一の食べ物は、「たこ焼き」であることが分かりました。)

・コロッケおいしい
・たこ焼きおいしい

たこ焼きも、おいしいです。

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