2017年7月9日日曜日

句会報 第20回

連載 「コロッケおいしい」句の研究について 最終回

ゲーム「おいしいコロッケを作ろう」のエンディングを目指している最中ではありますが、ここで一旦、連載を終了し、コロッケおいしいから学んだことをまとめてみる事にしましょう。
問題句「コロッケおいしい」という文体のその、魅力と、短所と、そして、世にも奇妙なゲーム性?などについて、いままでの連載で紹介し、扱ってまいりましたが、この文体のさらなる活用法として、「〇〇おいしい」を、「〇〇たのしい」と、添削をする事が、選者としての一つの試みであると、思うようになりました。

↓添削例

・朝食たのしい
・散歩たのしい
・昼寝たのしい
・仕事たのしい
・会話たのしい
・コロッケたのしい


これ以上、添削のしようが無いほど、本人の中での自己完結が進んでいる状態。

「コロッケおいしい」句のエッセンス、遺志?を受け継いだ場合、その先の未来として、このような俳句の世界が広がっていくのだと思います。

人生を生きていく上で、「たのしい」以上に、求めている事は、ほとんど少ない。

しかし、ほとんどの人は、実際の日常生活が、楽しくないので、様々な表現や、理由、代償、見返りを求めようとして、頭の中で色んな理由や色んな当てつけを、考えようとするものです。

・日常たのしい
・人生たのしい


これを、常にキープできる人間になることが、本当に、自分が本来したかった、子供の頃からの「本音」の気持ち、「志」であるとすると、なぜ、季語をつけたり、リズムに凝ってみたり、わざと難しい言葉を使ってみたり、知力や体力が優れているかのような表現をしてみたくなっていたのか?

色々と、取るに足らない不要な悩みであったと思います。
何事も、「苦しい」場合は、あらゆる表現を駆使して、雲を晴らそうと、四苦八苦しますが、それが「たのしい」に転じてしまえば、空気のように、存在が透明になり、それは、どこまでも許容できるもの。
無条件に受け入れる事ができる器を、入手した、という、達成感を得る事ができるのだと思います。

何を入れてもよいのだし、そのままカラッポでも良いという名器。
それこそが、「コロッケおいしい」という、自己完結において非常に優れている言葉が伝えたかった気持ちの、一番根っこの部分であるように思います。

また、いまだ楽しくないという事を、楽しくする為の方法は、「努力」以外、何も存在しないのではないか?

こうなると、全ての人間は、少なからず楽しくない事を、影で抱えて生きているのですから、
「努力をしていない人間」というのは、実際のところは、この地球上には皆無であると、その存在を、許容する事ができます。

以上で、問題句コロッケおいしいの研究についての連載を終えることになりますが、少し寂しくもあります。

これに匹敵するくらいの問題句に、また、時節出会って行き、句会に花を添える事にいたしましょう。

・コロッケおいしいし、コロッケたのしい


終わり。

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